本日のテーマは、地方は車は必需品なのか?です。
ガソリン代が高騰している昨今、SNSなどでは「田舎は車は必需品だ」「ガソリンの値上がりは生活に直結する」と主張が数多く見受けられます。
つまり、地方は公共交通機関が衰退してしまい、自動車がないと生活できないという主張です。
スーパーに買い物に行くにも、病院に行くにも車が必要だ、だから国は減税などを行いガソリン代を安くすべきだ!という主張なのですが・・・この主張は妥当なのでしょうか。
青森県出身の筆者が、この記事で検証していこうと思います。
車がないと生活できない地方都市の現状
現代の日本では、地方都市は確かに車がないと著しく不便なのが現状です。車がなくても生活できるのはごく限られた都市部だけです。実際にはさらにその中心の、バスや電車を利用できる地域だけでしょう。
自動車がなければ、買い物すらままならない場所が数多くあります。
たとえば筆者の出身地である、青森県十和田市という自治体を見ていきましょう。平成時代に市町村合併が行われる前に、十和田湖町という自治体がありました。観光地の十和田湖が有名な場所で、主な産業は農業です。
旧十和田湖町地域は田園地帯であり、スーパーマーケットは現在存在しません。ガソリンスタンドは3店舗あるのみで、うち1店舗は十和田湖畔にあり市街地から数十km離れています。
この状況では、住民は数日に一度、市の中心部まで車で行き、買い物をまとめて済ませる必要があります。住民は高齢化が進んでいますが、80歳を超えてもまだ自分で運転する必要があります。
これでは車がないと生活できない、車は必需品だと主張するのも理解できます。
一方で、青森県は低所得県であるのは言うまでもありません。平均年収は全国でワースト4位。誤解を恐れずに言えば、圧倒的に貧困と隣り合わせの県です。自動車を維持しつつ、住宅ローンを抱えていれば、低所得の家庭は生活が困窮するのも当然と言えます。
車は必需品なのだから、国はガソリン代を安くするように税金を抑えるべき!という主張が出てくるのは自然の流れです。
しかし「そこまでしてなぜ田舎に住むの?」という素朴な疑問も
一方で、こんな疑問があります。
「給料は安い、でも物価は安くはない、生活は不便、そんな地方に住み続けるの?」という疑問を、大都市に住む人は必ず思うでしょう。
車の維持が難しいのでしょう?ガソリン代が負担で生活が不安なのでしょう?それなら、車が必要ない大都市に引っ越すなり、ガソリンが高くなっても車を維持できる職業に転職するなりしたらどう?
そんな素朴な疑問が向けられるのです。
だれもその不便な土地に住めとは強制していないはずです。自分の人生の選択としてその場所に住んでいます。であるなら、車の維持費は生活に必要なコストです。必需品ではなく、好き好んで選択したライフスタイルに付随するコスト、ともいえます。
まるで被害者のようにふるまうのは甘えと捉える人もいるでしょう。
もしガソリンなど国の支援が必要だとしたら、引っ越しや転職が難しい立場の人だけであり、障害者や生活保護世帯などに限るべき、という主張も存在します。
人生の選択肢を数多く持ち、主体的に生き方を選ぶ時代になっていく
地方在住の人には、人生の中で引っ越しを経験していない人も大勢います。
生まれ育った実家は何世代も続いていて、自分も実家から学校に通い、就職しても実家に住み続けているケースがめずらしくありません。封建的な家制度と身分制度があった江戸時代はそうせざるを得ない社会だったでしょう。
この人たちは、「なぜその不便な田舎に住み続けているのですか?」という質問に、明確に答えられないのが特徴です。
主体的な理由があるならば、それは誰も否定できません。
いくら不便でもこの土地が好きで住んでいる、とか
何世代も続く旧家であり、当代として家を守る必要がある、とか
家業を継いだので、守っていく必要がある、とか
そのような主体的な理由を答えられる人はごくわずかでしょう。
多くの人には、主体的な理由が存在しないのです。人生の選択として主体的にここを選んだとは断言できず、長男だからとか、故郷だからとか、かなり曖昧で根拠が薄い理由を自信なさげに言うばかりです。
そのマインドの延長線上に、「車は必需品だ」という感覚が生まれるわけです。
車が必要でコストが高い田舎暮らしだけど、好き好んでここを選んでるし、別にガソリン代が多少高くなっても収入がちゃんとあるからOKですよ、という感覚であれば別にいいのです。
物価が高くなり、生活コストが高騰している現代、私たちは生き方の選択肢を多く持ち、主体的に選択していく時代に入ろうとしています。
収入に対してコストが高い生活はもうできない、という判断も必要なのです。
田舎で生まれたから地元で生きるのが当たり前、でもお金はない、国がなんとかしろ、というマインドでは今後貧困になってしまいます。
田舎暮らしは贅沢な選択、という自覚が必要
圧倒的多数の日本人労働者は、給料が上がらなくなって久しいです。
しかし物価は上がっていくばかり。円安の影響もあって海外からの観光客は日本で贅沢三昧。東京の都心では、狭いビジネスホテルのシングルルームひとつとっても、一泊2万円ほど。所得の低い日本人には、頻繁に利用しづらい値段になっています。
地方は物価が安いと誤解している人もいますが、安いのは家賃と地価だけです。マクドナルドのビッグマックセットも、スターバックスのコーヒーも、トヨタ・ヤリスも、値段は東京と同じです。九州の田舎町のビジネスホテルも、地方だからといって特段安いわけではありません。
東京では家賃が高いのですが、車の維持は必要ありません。必需品でもありません。家賃の高さはあったとしても、地方暮らしよりは家計の支出が少なく済みます。東京は所得格差が大きいので、地方に住むよりも「階級の違い」を実感して惨めになることはあるものの、固定費を安く住ませることが可能です。
田舎暮らしはコストが高い。実はそれが現実です。
地方に住んで、もし低所得だとしたら、自動車を維持するのは無理でしょう。
車は必需品ではなく、自分が選択したライフスタイルによって必要なだけです。維持できないなら車を手放して生活するか、それが不可能なら、車がなくても生活できる土地に引っ越すしかありません。
もしくは今の生活は変えずに、車を維持できるほどの収入が得られる仕事へ転職するしかないのです。
地方出身者の筆者も、田舎暮らしは贅沢だと思っています。田舎で豊かに暮らすためには、それなりの収入と資産が必要な時代になったのを実感しています。
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