バブルで正気を失った銀行&保険会社「融資一体型変額保険」の登場
980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本経済は「バブル経済」と呼ばれる未曾有の好景気に沸きました。
株価や地価は天井知らずの上昇を続け、誰もがこのままの上昇基調で進むのだと根拠もなく思い込んでいた時代です。誰もが資産運用に夢中になり、投資に入れあげた人たちが、資産運用をしようとしない人たちを馬鹿にするような浮かれた時代・・・
まるで現代の様子とそっくりだったのです。
当時は資産運用のことを「財テク」と呼んでいました。
財テクはかっこいいこと、意識が高いことだったのです。
上がっていく株価、地価、そして膨らんでいく個人資産額・・・高級車のBMWは「六本木のカローラ」と言われるほど街にあふれ・・・あまりにもの狂乱ぶりに金融機関は次第に正気を失っていったようでした。
この時期、後に多くの被害者を生み出すことになる「融資一体型変額保険」が生まれました。個人資産がさらに雪だるまのように膨らみ、相続対策にもなるという、夢のようなセールストークでした。
ただ・・・株価と地価が永遠に上昇すればの話でしたが・・・
これは特に富裕層の潤沢な資産を狙った銀行と保険会社が作った、欠陥だらけのスキームだったのです。しかし保険を売りたい保険会社も、貸し出しを増やしたい銀行も、射幸心を煽られた客もそのスキームの欠陥に気づきませんでした。
バブル崩壊後、スキームは一瞬で瓦解。保険契約者は自己破産や自殺へと向かい、銀行と保険会社は訴訟沙汰に。2000年頃になると中小の保険会社は次々に経営破綻に向かいました。
この事件をモチーフにした「波のうえの魔術師」(石田衣良 作)という小説もあり、テレビドラマになったほどです。
この資産運用スキームの失敗は現代の日本人に、非常に教訓を与えてくれます。しかしこの事件はなんだったのか、覚えている人はもう少ないでしょう。当時、当事者として銀行や保険会社にいた人はすでに定年退職しているはずです。
風化しようとしているこの事件を、詳細を解説していきます。
融資一体型変額保険スキームの仕組み
融資一体型変額保険、あるいは土地担保変額年金とも呼ばれたこの商品は、生命保険会社が提供する「変額年金保険」と、それを担保にした「銀行の融資」を組み合わせた複合金融商品でした。
その基本的な仕組みは複雑でした。順番に説明していきます。
①一括払変額年金保険への加入
契約者は、まず生命保険会社に対し、億単位にのぼる保険料を一括で支払い「変額保険」に加入します。変額保険は株式や債券で運用され、解約返戻金と保険金額が変動する特殊な保険です。
②保険を担保にした融資が行われる
次に、契約者は支払った保険を担保として、保険会社の提携金融機関から融資を受けます。融資額は、払い込んだ保険料の80%~90%程度が一般的でした。
1億円の変額保険のかけ金を支払い、その90%の9,000万円の融資を受けるということです。なぜわざわざ生命保険を迂回させる必要があるのかと疑問に思う人もいるでしょう。変額保険は当時「変額保険の運用利回りは、ローンの金利よりもはるかに高い」というセールストークだったのです。
現金で置いておくより変額保険に形を変えた方が得、と言われ勧誘されたのです。
③融資資金で不動産投資を行う
契約者はその融資金を元手に、主に土地やマンションなどの不動産を購入します。
個人の預金を変額保険に入れさせ、それを担保に銀行が融資を行い、投資家はその融資を使って不動産投資をする。
保険会社は、このスキームはどのようにリターンが得られると説明したのでしょうか。それはこうです。
「お客様が払い込んだ保険料は、当社の『特別勘定』で運用されます。株式や債券で積極的に運用するため、高い利回りが期待できます。一方、融資金で購入された不動産の価格も、今後ますます上昇していくでしょう。変額保険の運用益と土地の値上がり益、この二馬力で資産は雪だるま式に増えていきます。お客様は変額保険の運用益でローンを返済してください。お客様が万が一のときは節税対策にもなります。」
当時の金利は8%ほど。手持ちの資金が2倍になるのに9年しかかからない時代です。1億円が9年後には2億円になるので、確かに運用益だけで返済が可能と言われると信じてしまいます。
でもそれは、株式と土地の価格が上昇し続けたらの話です。
当時の株式市場は右肩上がり。そして「土地の価格は絶対に下がらない」という土地神話が社会を支配していました。このような状況下で、「変額保険の運用利回り」が「ローンの金利」を上回り続けることは、多くの人が信じたのです。
恐ろしいことに、このロジックを2025年現在も聞くことがあります。
「住宅ローンの金利よりも、資産運用の利回りの方が高いので、繰り上げ返済はしなくていい、変額保険に入ってください」という、一部の若い保険営業マンが力説するアレです。それ、バブルの頃に自殺者を出したトークなんだけどな・・・と筆者は白目を剥いて聞いています。
歴史の悲劇は、それを学ばないものの上に再び降りかかるものです。
この融資一体型変額保険のスキームが崩壊するのはわずか数年後のことでした。
バブル崩壊で全てが無に帰す
しかし、永遠に続くと思われたバブルの宴は、1990年代に入ると突如として終わりを告げます。
株価の暴落を皮切りに、地価もまた急激な下落に転じました。これが融資一体型変額保険の契約者たちに「悪夢のダブルパンチ」となって襲いかかりました。
変額保険の運用が瓦解
変額保険の「変額」とは、運用実績によって将来受け取る解約返戻金や解約返戻金が変動(増減)することを意味します。バブル期には高いリターンを生み出す源泉と見られていた株式市場が暴落したことで、特別勘定の運用成績は急激に悪化しました。契約者が払い込んだ保険料は大きく元本を割り込み、解約しようにも雀の涙ほどの金額しか戻ってこないという事態に陥ったのです。保険営業マンがうっとりして語った「高い運用利回り」は、一転して「莫大な損失」に変わりました。
不動産のオーバーローン
融資金で購入した土地やマンションも、地価の暴落によってその価値を大きく下げました。購入時よりもはるかに低い価格でしか売却できず、売却しても融資の残債を到底返済できない「オーバーローン」の状態が続出したのです。
その結果、契約者の手元には、解約返戻金が激減した変額保険と、同じく価値が暴落した不動産が残りました。そしてとどめを刺したのは「銀行からの融資の一括返済要求」です。
銀行融資は変額保険の解約返戻金を担保にしています。まず、これが崩壊しています。土地を購入するための融資は担保割れのため、一括返済をしてもらう必要が生まれます。
そんなことを言われても、保険契約者は資産を失っています。最後の手段は自己破産をするか、自殺をして生命保険金で融資を返済するかでした・・・
あくまでも自己責任の契約
変額保険も融資も、自己責任で行うものです。そのスキームが欠陥だったとしても、責任は契約者に帰します。
金融機関としては、変額保険の運用が失敗し契約者が自殺しようとも、そこに責任を負う必要はないのです。「ハンコをついたのはあなたでしょう」ということです。
法廷闘争
やがて大きな社会問題へと発展していきます。1990年代半ばから、全国各地で被害者たちが団結し、生命保険会社を相手取って損害賠償を求める集団訴訟が次々と提起されました。国会でも取り上げられたほどです。
平成15年の参議院での質問主意書を、いまでもウェブサイトで見ることができます。
短い文章ですが、問題が起きるまでいかに銀行と保険会社が正気を失っていたかが垣間見れます。現代においても金融機関はなぜか群集心理のように一方向に突き進む性質があると筆者は感じています。正気を保ち正論を述べる人を、むしろコンプライアンス違反だと叩くのは現代でも同じです。筆者も正論を何度糾弾され叩かれたことか分からないほどです。
これらの訴訟における最大の争点は、保険会社の「説明義務違反」でした。原告である契約者側は、保険会社やその代理店が、商品のメリットばかりを強調し、重要なリスクについて十分な説明を怠ったと主張しました。
- 元本割れのリスク 変額保険は運用実績次第で払い込んだ保険料を下回る可能性があること。
- 資産価格下落のリスク 株価や地価が下落した場合、年金と不動産の両方で損失を被る「二重のリスク」を負うこと。
- 金利変動のリスク ローンの金利が変動する可能性があること。
これに対し、保険会社側は「契約は自己責任」の原則を盾に、「契約時の書面にはリスクについて記載しており、契約者も理解した上で署名・捺印しています」と反論しました。
当初、裁判所の判断は分かれ、契約者側の請求を退ける判決も少なくありませんでした。しかし、被害の実態が明らかになるにつれ、次第に消費者保護の観点から、保険会社の販売姿勢を厳しく問う判決が増えていきました。
特に重要視されたのが、現代の言葉でいうところの「適合性の原則」です。これは、金融商品を販売する側が、顧客の知識、経験、財産の状況、契約の目的などに照らして、不適切な商品を勧誘してはならないという原則を指します。
極めてハイリスクなこの商品を、リスクを十分に説明せずに販売した行為は、現代の言葉でいうところの適合性の原則に違反する、という判断が下されるようになったのです。
裁判を通じて、保険会社側が販売員に対してリスク説明を意図的に避けさせ、メリットのみを強調するような販売マニュアルを作成していた事実なども明らかになり、社会的な批判はさらに高まりました。
最終的には、多くの訴訟で和解が成立したり、保険会社側の説明義務違反を認める判決がおりて、事態は収束へと向かいました。
融資一体型変額保険が現代に残した教訓
この一連の問題は、日本の金融史における大きな汚点であると同時に、極めて重要な教訓を残しました。
第一に、金融機関における説明義務とコンプライアンス(法令遵守)の重要性が社会的に強く認識されたことです。この問題は、2001年に施行された「金融商品の販売等に関する法律(金融商品販売法)」制定の大きなきっかけとなりました。この法律は、金融商品の販売業者が、顧客に対して元本割れリスクなどの重要事項を説明することを義務付け、説明を怠って顧客に損害を与えた場合の賠償責任を定めています。
第二に、消費者側の金融リテラシーの必要性を浮き彫りにしたことです。バブルという特殊な状況下であったとはいえ、「うまい話には裏がある」という金融の鉄則を忘れてはなりません。保険営業マンのオーバートークを鵜呑みにせず、商品の仕組みやリスクを自ら理解しようと努める姿勢が、自らの資産を守る上で不可欠です。特に、仕組みが複雑で理解しにくい変額保険は、金融リテラシーが低い人は手を出すべきではありません。
2025年現在、保険会社は再び変額保険を強く売り出しています。無論、かつてのような融資一体型ではありませんが、「世界株式のファンドで運用すれば年15%のリターンもありうる」などというセールストークが非常に多く見受けられます。
そして一般の会社員世帯に対し、月10万円以上もの掛け金のプランを提案するなど、正気を失ったかのような保険営業マンも存在するのです。
全員、あのバブル期のスキームのことについては無知です。当時生まれてもいない営業マンの方が多いでしょう。
変額保険自体は非常に優れた金融商品です。しかしその仕組みは今も複雑で難しく、投資経験や金融知識が平均以下の人は手を出すべきではない、リスク性商品です。あたかも年15%で増えるかのようなトークを信じてしまうようなリテラシーの方は、絶対に関わってはいけません。
歴史が繰り返されないことを願うばかりです。
おわりに
融資付き変額年金保険は、バブル経済が生み出した「時代の徒花」でした。それは、土地神話を背景とした過剰な楽観論と、手数料や融資残高の拡大を急ぐ金融機関の販売姿勢、そして財テクブームに沸いた国民の射幸心、これら全てが結びついて生まれた悲劇であったといえます。
同じような状況は2025年にも見られます。
なぜか株価は上がり続けると思い込んでいる若者が多く、「資産運用は意識高い行動」と言わんばかりの態度を取っている人も珍しくありません。
しかしそのような人はバブル期にもいたのです。株価は永遠に上がり続けると信じてしまうのは、射幸心からくるものです。増え続ける資産額を目の当たりにすると、つい威張ったり、素人を集めて投資手法を講釈したくなるのもバブル期の人達と同じです。
株価はずっと上がらないよ、とか、住宅ローンの変動金利はいつか上がるよ、とか、そんなことを言われると烈火のごとく怒り出す金融マンやFPもいます。なぜそんなに感情を剥き出して、ひとつのことを信じようとするのか・・・
金融スキームは注意をして接しないといつか痛い目を見ると考えていいと思います























