日本人の貯蓄の歴史は浅い
かつて「貯蓄は美徳」とされ、世界でもトップクラスの貯蓄率を誇った日本。
日本人の貯蓄好きになったのは、それほど昔の話ではありません。昭和時代に入ってからなのです。政府の戦費調達のために、国民に貯蓄を勧めたのがきっかけです。国民の貯蓄はあの悲惨な戦争のための費用に使われてしまったのです。
貯蓄を美化した軍事政権でしたが、その後も貯蓄を美徳とする価値観は数十年間続きました。
時代は移り変わり、今、「貯蓄から投資へ」とゆっくりと国民の意識が移ろうとしています。投資にアレルギーを持つのは中高年世代に多く、若い世代は投資、資産運用が当たり前のものになり始めました。
この記事では、日本人の貯蓄の歴史を紐解きながら、いまなぜ投資にシフトしているのか理由を探っていきます。
戦時体制を支えた「貯蓄報国」
日本の貯蓄の歴史において、戦争が与えた影響は計り知れません。明治時代に郵便貯金制度が始まって以降、国民の間で貯蓄の習慣は徐々に広まっていましたが、その流れを決定的にしたのが戦時体制です。
1937年に日中戦争が始まると、増大する一方の軍事費を賄うため、政府は国民の貯蓄に目を付けました。1938年には大蔵省に国民貯蓄奨励局が設置され、国家総動員体制の一環として「国民貯蓄奨励運動」が強力に推し進められます。

「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」といったスローガンの下、国民は消費を抑え、貯蓄に励むことが「銃後の務め」として奨励されました。貯蓄目標額は年々引き上げられ、太平洋戦争期には年間数百億円という、当時としては天文学的な数字が掲げられました。
小説や映画、アニメなど創作物の影響から「戦争時代は国民はみな貧しかった」というイメージがありますが、貯蓄額だけを見ると裕福そのものだったようです。
地域や職場ごとに「貯蓄組合」の結成が義務付けられ、給料からの天引き貯金が強制的に行われました。また、「割増金付き戦時貯蓄債券」といった射幸心を煽るような金融商品も発行され、国民の資金を吸収していきました。
これらの貯蓄は、国債の消化を通じて、戦闘機や戦艦の建造といった戦費に充てられていったのです。
貯蓄するのはお国のため、という美しい価値観は確実に日本人を洗脳し、戦後も何十年間も呪縛していきました。
ちなみに戦時中の貯蓄は、戦後のインフレによってほぼ無価値となってしまいました。

戦後復興と高度経済成長を支えた高い貯蓄率
終戦後、日本はハイパーインフレーションに見舞われます。政府はこれを抑制し、復興資金を確保するため、さらに「救国貯蓄運動」を展開しました。戦時中の貯蓄奨励が、形を変えて継続されたのです。
焼け野原からの復興、そしてその後の高度経済成長期において、国民の高い貯蓄率は大きな役割を果たしました。
家計から集められた豊富な資金は、銀行を通じて鉄鋼、造船、自動車といった基幹産業に供給され、日本経済の奇跡的な発展を金融面から支えたのです。
戦争時代に洗脳された「貯蓄は美徳」という価値観は、国家の発展に貢献するという意味合いをさらに強めていきました。
「貯蓄から投資へ」―政策転換の背景
しかし、1990年代のバブル経済崩壊後、日本経済は長期的な停滞、いわゆる「失われた30年」に突入します。
この間、超低金利政策が続いたことで、かつてのような預貯金による資産形成は困難になりました。
ところが、日本の家計の金融資産は、欧米諸国と比較して、その半分以上が現金・預金に偏っているという特徴が続いています。第二次世界大戦で軍事政権に洗脳された価値観が、現代でも根強く残っているのです。日本人はリスクを嫌うので投資をしたがらない、と言われますが、実際は少し違うかもしれません。
日本人にとって「貯蓄」そのものがまだ100年程度の新しい習慣であり、国家や親からの教育が強力でした。そのため投資という新しい習慣を取り入れるのがいまだぎこちないだけではないでしょうか。軍事政権の洗脳は世代を超えて継承されているのです。
デフレ経済下では現金の価値は目減りしにくいため、預貯金は安全な資産と見なされてきましたが、その一方で当然ながら国民の資産はほとんど増えない状況が続いていました。
こうした状況に加え、少子高齢化の進展という構造的な問題が深刻化します。将来の年金受給額への不安が高まる中で、個々人が自ら資産を形成し、老後に備える必要性が増してきたのです。
このような背景から、政府は「貯蓄から投資へ」のシフトを強力に推進し始めました。
なぜ投資を推奨するようになったのでしょうか。その目的は二つあります。

個人の資産の増大のため
一つは、個人の資産所得を増やし、豊かな国民生活を実現することです。眠っている預貯金を投資に振り向け、企業が生み出す利益を配当や株価上昇という形で家計に還元させることで、消費を活性化させ、経済の好循環を生み出すことを目指しています。
2024年から始まった新NISA(少額投資非課税制度)の抜本的な拡充は、そのための重要な柱と位置付けられています。
投資マネーがベンチャー企業の成長を支えるため
もう一つの目的は、ベンチャー企業の成長を促しすためです。
日本はバブル崩壊後、経営規模で世界を席巻するような新しい企業や産業が育ちませんでした。一方で、アメリカではこの30年の間、数多くのテック企業が巨大企業として成長しています。
アルファベット(Google)、Apple、Facebook、AmazonなどのGAFAをはじめ、数えきれないほどの新興企業が世界規模レベルで成長しました。もはや世界中の人たちの行動様式や価値観まで変えるほどの力があります。
日本でこのような規模で成長した企業はひとつもありません。
その原因は、日本ではベンチャー企業が銀行融資に頼らざるを得ない構図があったからです。銀行はリスクのある新興企業への投資を控えようとします。確実に回収できる古い企業への融資が優先なのです。これでは新しい企業のチャレンジはうまくいきません。
投資マネーはこのようなベンチャー企業への投資に流れていきます。古い銀行が融資しようしない分野、企業を支援することにつながり、それがひいては日本全体の所得を上げ、イノベーションが起きやすい社会へと変えていくのです。
貯蓄も投資も、政府が言いたいのは「お国のため」
日本の貯蓄の歴史は、国家の要請と国民の生活防衛意識が複雑に絡み合いながら形成されてきました。戦時下で「お国のため」の貯蓄が奨励され、戦後は経済復興と成長の原動力となり、日本人の貯蓄の習慣化に成功したといえます。
そして現代、低成長と少子高齢化という新たな課題に直面しています。そこで政府は国民に対し、経済戦争に勝つための「投資報国」を求めているといえます。
戦時中と同じように、これからも投資を美徳とする価値観が形成されていくのでしょう。
大切なのは、政府に洗脳されないことです。投資が必要ない家庭も数多くあります。投資というリスクを抱えずとも一生幸福に暮らせるケースの方が多いのです。
投資をしない人は非国民だ、と言わんばかりの論調がSNSで目立ち始めています。投資に成功したと自称する人が、Xなどで人を小馬鹿にしながら講釈する様子を、多くの人が見たことがあるでしょう。
貯蓄でも投資でも、それをやるのは自分の家計のためです。国に誘導されたり強制されたりしてやるものではありません。「投資しなければ損をするかも」と焦っている人がいたら、きっぱりとこう言えます。
政府の思うつぼですよ、と。
もう少し、冷静になりましょう。

























