「医療保険不要論」の無知と危険性
「貯金もあるし、日本の健康保険は優秀だから民間の医療保険は不要だ」という話を、あなたも一度は聞いたことがあるかもしれません。
医療保険は不要だと主張する書籍やYouTube動画は多く存在します。一部の保険会社でさえ、医療保険は意味がないとか、掛け過ぎるのはもったいないなどと主張し、積立保険を中心に備えるようにアドバイスしています。
本当にそうでしょうか。
家族の大病を経験した筆者からしたら、それは「未経験者の浅い机上論」だと考えています。
確かに、日本の公的医療保険は三割負担で、さらには高額療養費制度というセーフティネットも存在します。しかし、だからといって、誰でも医療費を無事支払えるかと言ったらそうではないでしょう。
高額療養費制度が適用された後の請求額を支払えない人が大勢いるのはなぜなのでしょうか。医療保険不要論の人達が、それに対して論理的に回答しているのを見聞きしたことは一度もありません。
残念ながら無知から来る机上論か、あるいは医療保険を売っても手数料を稼げない保険会社の営業マンのポジショントークか、そのどちらかです。
この記事では、なぜ医療保険が「不要」と言い切れないのか、その根拠を「がん」や「脳卒中」といった、誰にでも起こりうる病気の具体的なケースをもとに、論理的に解説していきます。
「医療保険不要論」の人が知らない、病院からの請求額
医療保険が不要だと考える人の主な理由は、以下の通りです。
- 健康保険証があれば、医療費の自己負担は1~3割で済む。
- 高額療養費制度があるので、1ヶ月の医療費負担には上限が設定されている。
- 高額療養費制度は4か月目以降は「多数該当」でさらに自己負担がが安くなる。
- だから、万が一の時は貯蓄で対応できる。
「なるほど、それなら貯金があればいいんだね?」とはならないでしょう。
これらの考えは、制度の表面だけを浅く捉えたものです。この主張をする人が知らないのは、病院からの実際の請求書の金額です。
ここで、実際の請求を紹介して解説していきます。
脳卒中で入院、一か月間あたりの請求額は?
まず、前提となる状況を解説します。
病名:脳出血
入院日数:約180日(請求書のその一か月分です)入院日数:約180日(請求書のその一か月分です)
個室の利用:10日間、そのあとは大部屋に移動
リハビリテーションも実施。パジャマ代など雑費は別途業者から請求あり(約22,000円)
そのある一か月の請求額がこちらです。

請求額は198,888円です。
| 費用の種類 | 請求書での名称 | 金額(円) | 簡単な説明 |
| ① 保険適用 | 医療費の自己負担 (一部負担金) | 89,188 | 治療や検査、薬などにかかった医療費の自己負担分 |
| 入院中の食事代 (食事療養費) | 45,900 | 入院中の食事費用 | |
| 小計 | 135,088 | ||
| ② 保険適用外 | 差額ベッド代 (室料差額) | 63,800 | 個室の利用料金 |
| 小計 | 63,800 | ||
| 合計請求額 | (①+②) | 198,888 |
これを具体的に解説していきます。
請求額の内訳
それでは、請求額の内訳を詳しく見ていきましょう。
請求額は大きく分けて「① 保険適用の費用」と「② 保険適用外の費用」の2つから構成されています。
1. 保険適用の費用(自己負担分合計: 135,088円)
健康保険が適用される診療にかかった費用です。
(1) 医療費総額(10割負担の場合): 1,175,820円
まず、保険適用された医療費の全額(10割分)が 1,175,820円 であったことが示されています。その内訳は以下の通りです。
- 診断群分類(DPC): 732,220円
- これは「DPC(診断群分類包括評価)」と呼ばれる、現在の日本の多くの病院で採用されている入院医療費の計算方法です。病名や行われた手術・処置などによって分類され、1日あたりの医療費が定額で決められています。検査、画像診断、投薬、注射などの多くの費用がこの中に含まれているため、それぞれの項目に金額が記載されていません。
- 入院料等: 393,800円
- DPCの包括費用とは別に、入院基本料や看護料など、入院に関する基本的な費用が含まれています。
(2) 窓口での自己負担額: 135,088円 (①小計 A+B)
上記の医療費総額に対して、実際に窓口で支払う自己負担額が計算されています。
- (A) 一部負担金: 89,188円
- これは医療費に対する自己負担分です。負担割合は30%と記載されていますが、単純に1,175,820円の30%(約35万円)とはなっていません。これは、医療費が高額になった場合に自己負担額が一定の上限額までとなる「高額療養費制度」が適用された結果の金額だからです。所得区分などに応じて定められた上限額がこの金額に当たります。
- (B) 食事療養費: 45,900円
- 入院中の食事代です。これは医療費とは別に、1食あたりで定められた標準負担額を支払うもので、原則として高額療養費制度の対象外となります。
この(A)と(B)を合計した 135,088円 が、保険適用分として支払う金額となります。
2. 保険適用外の費用(自己負担分合計: 63,800円)
こちらは健康保険が適用されず、全額が自己負担となる費用です。
- (D) 室料差額: 63,800円
- これは、患者の希望によって個室や少人数の病室などを利用した場合にかかる「差額ベッド代」です。この費用は保険がきかないため、全額自己負担となります。この場合は10日分の室料差額です。
- 内消費税額: 5,800円
- 上記の室料差額(63,800円)に含まれている消費税額です。医療費(保険診療分)は非課税ですが、差額ベッド代などの保険適用外の費用には消費税がかかります。
3. 合計請求額(①+②): 198,888円
以上の内容をまとめると、最終的な請求額は以下のようになります。
- 保険適用の自己負担額 (①): 135,088円
- 保険適用外の自己負担額 (②): 63,800円
- 合計 (① + ②): 198,888円
もし個室に30日入院したとすると?
1日8,000円の個室に30日入院したとすると、室料差額は税込みで264,000円です。上記の保険適用費用と135,088円と合わせると、月の請求額は・・・399,088円ということになります。
これが1ケ月分です。
脳卒中の場合、リハビリを目的として転院を含めて約6か月程度の入院が必要です。約半年分の請求額は、約240万円となります。さらに、パジャマ代などの雑費が月22,000円程度かかるので、132,000円追加され、約253万円ということになります。
退院後もリハビリを継続した場合、10割負担となるため、毎月30万円程度が必要でしょう。12カ月間、自費リハビリを行うと、360万円です。
脳卒中発症から1年半程度で必要な累計費用は、613万円。高額療養費制度を適用してこの金額です。
預貯金で間に合うと言っている人は、この金額が自分の預貯金から減っていくということです。
脳卒中発症によって、半数近くの人は職場復帰を諦めます。その後の収入も失ううえに、預貯金が減るとしたらどう感じるでしょうか。
高額療養費制度を使っても、支払いは高額である
高額療養費制度は、医療費の自己負担を一定額に抑えてくれる非常に心強い制度です。例えば、年収500万円の人が1ヶ月に200万円の医療費がかかったとしても、最終的な自己負担は10万円弱で済みます。
「なんだ、その程度なら貯金で払える」と思った方も多いでしょう。 しかし、この制度が対象とするのは、あくまで保険適用の医療費だけなのです。
以下の費用は、全額が自己負担としてのしかかります。
- 差額ベッド代(個室や少人数の病室を利用した場合の費用)
- 装具(20万円程度)
- 入院中の食事代(1食あたり490円 )
- パジャマ代などの雑費(月22,000円程度)
- テレビカード(病院にもよるが月に10,000円程度)
- 家族の交通費など
大病の患者の場合、誤嚥性肺炎を防ぐために水分摂取にはとろみをつけなければなりません。病院によってはとろみ調味料は患者が用意することになります。1カ月分で1万円程度になります。
がん治療で最新の治療法(先進医療など)を選択すれば、それだけで数百万円の技術料がかかることもあります。
高額療養費制度は万能ではなく、制度の対象外となる出費が、想像以上に家計を圧迫するのです。
大病の場合は個室を選ぶことになる
「病室なんて贅沢、大部屋で十分」と健康な時は思うかもしれません。骨折での入院ではそれでもいいでしょう。
しかし、がん治療の副作用で苦しんでいる時や、脳卒中の急性期は、大部屋での入院は本人も家族も強いストレスを感じます。
脳卒中急性期のせん妄で大声を出したり、怒り出したりしたら、同室の患者に迷惑をかけてしまうので家族は気が気ではありません。排泄のにおいも気になります。また脳卒中から一か月間は絶対安静の時期であり、面会に来た家族が積極的に声をかえて元気づける必要もあります。しかし大部屋では大きな声を出せません。
- プライバシーの確保が必要 病状やお金のことなど、医師や家族と気兼ねなく話したい。
- 感染症の予防 抗がん剤治療などで免疫力が落ちている時、多人数との接触は避けたい。
- 心身の安静 他の患者さんの物音やいびきを気にせず、静かに眠りたい。
こうした理由から、症状が重い患者の多くが個室を希望します。
しかし、この差額ベッド代は健康保険の対象外です。全国の平均額は1日あたり約6,600円。この費用を払い続けられず、ストレスを抱えながら大部屋での療養を強いられる方は少なくありません。
退院後に続く「リハビリ」という戦い
特に脳卒中の場合、退院は決してゴールではありません。麻痺が残った身体の機能を取り戻し、仕事や日常生活に復帰するための、長く地道なリハビリが始まります。
公的保険で行えるリハビリには日数や回数に上限が定められており、「もっとリハビリを続けて社会復帰したい」と思っても、制度の壁に阻まれることがあります。
その際、選択肢となるのが「自費リハビリ」です。専門家による質の高いリハビリを受けられますが、1時間1万円以上と非常に高額です。治療で収入が減っている中、この費用を払い続けることは、家計にとって大きな負担となります。
経験してみないと分からない恐怖感
「いざとなったら貯金を崩せばいい」という考えは、病気を経験したことのない人の視点かもしれません。実際に大病を経験した多くの方が語るのは、「貯金が減っていくことへの恐怖」です。
- いつまで続くか分からない治療を前に、預金通帳の残高が減っていくのを見るのは、耐え難いストレスです。
- 自分の治療のために、子どもの教育資金や家族の夢だった旅行資金に手をつけることに、強い罪悪感を覚えます。
- 仕事を失うと資産運用などに回すお金の余裕はもうありません。
- 仕事をしなくても収入が入り続ける仕組みが永劫に続くのは一部の大富豪だけで、多くの人はたとえ仕組みがあっても本人がいないとゆっくりと減り続けていきます
机上の空論で医療費があたかも少額かのような幻想を抱く人は多いのが現実。
実際には、医療費を支払う目途が立たず、治療を諦め退院していく人もいるのです。高額療養費制度と少しの貯蓄があったら、生命保険など要らないというのは、ちょっと無知が過ぎるというものです。
まとめ
「医療保険は不要」という意見は、高額療養費制度への誤解が原因にあります。いざ病気になった時にリアルな出費や精神的な負担に直面します。
がんであっても、脳卒中であっても、ひとたび大病を患えば、治療そのものはもちろん、療養環境の整備や、退院後の生活再建にもお金がかかります。
公的制度でカバーされる範囲と、そこからはみ出してしまう自己負担の範囲。その両方を正しく理解し、自分や家族の生活をどう守るのか。
生命保険の営業マンでさえ、リアルな治療費と治療の過酷な実態を知らないことが非常に多いのです。自身に闘病経験がある営業マンと、ない営業マンでは、言うことが全く違うことに注目してみてください。




























